キムラフルーツの歴史
創業は100年以上前。大阪天満市場で創業。
「キムラフルーツ」が果物の販売を始めたのは、1910年にまでさかのぼります。
現在の大阪中央卸売市場の前身・天満市場に、青果物問屋を開いたことが始まりです。
それが明治・大正の大阪商売の先頭を走り、1936年阪急百貨店神戸支店の果物売場に進出。
そして、外国産果物の輸入が珍しかった時代にもかかわらず積極的に販売に取り組み、
レモン、オレンジ、メロン、グレープフルーツなどの果物を大阪で初めて輸入し、販売を始めました。
しかし外国産フルーツの輸入には、数々の困難が待ち受けていました。
日支(日本と現在の中国)事変の拡大や大東亜戦争の進展で、輸入貿易はもちろん、
小売部門も縮小を余儀なくされます。
また、第二次世界大戦も商売の大きな妨げとなったのです。
ですが、苦労の末に積み上げてきたものは無駄には終わりませんでした。
1946年、野菜・果物の統制撤廃で、阪急百貨店より小売販売の担当を命じられ、
併せて食堂部への納品にも従事することとなったのです。
焼け野原と化した日本が復興を遂げるのと同じく、経営も多岐にわたりはじめました。
個人商店から株式組織になったのもこの頃です。
伝統を守りながら、新しいことにチャレンジ。
昭和40年(1965年)代に入り、果物の輸入自由化の動きが活発になるまでは、
まだ現在のような大規模な仕入れはできなかったそうです。
前例のない業務であったため、思わぬ壁に当たることもあれば、
ひょんなことから新たな果物に出合うこともありました。
台湾から輸入していたバナナが、コレラ騒動のため入荷ストップの事態に陥った時でした。
代わりにサモア島産のバナナを輸入する運びとなります。
そのことがきっかけで、同じサモア島産のパパイヤの初入荷に結びついたとか。
様々なトラブルにも瞬時に対応し、また、困難な場面をも機転を利かせてうまく活用してきました。
また、当時馴染みの薄かったグレープフルーツを広めるために、グレープフルーツを半分にカットして、
スプーンで食べる方法を考案。ただ、普通のスプーンでは食べにくいので
ギザギザにしたスプーンを作って、グレープフルーツと一緒に販売。
あまり知られていませんが、今のギザギザスプーンの始まりもキムラフルーツなんです。
キムラフルーツはいつの時代も伝統を守りながらも新しいことチャレンジし、
フルーツの販売だけにとどまらずフルーツに関連するコトも提案してきました。
キムラフルーツスタッフ一同がグッと前向きになりながらも、常に明るく朗らかなのは、
やはり明るく美味しい果物があってのこと。
これからもよろしくお願い申し上げます。